今回は、チアについての記事です。チアダンス、特に競技チアに関わる方に向けて書かせていただきます。自分も昔、競技チアダンスに携わっていたことがあります。今はそこから離れておりますが、「日本人なら日本人らしいチアで競技チアをすべき」という持論を元に「よいチーム、演技を作る方法」をお伝えさせていただきます。
現在のチアは技を羅列した演技になってしまっている
今の競技チアは本場アメリカを意識しすぎているものが非常に多いです。また、以前競技チア関係者とお話する機会があった時に「作る側もより高い点数を取るためにひたすら技、技、技、といった技の羅列の演技を作ることが仕方なくなってしまっている」とお聞きしたことがあります。
得点は、競技チアにおいて避けては通れない問題です。ですが、チアの根本的な本質は「チア=応援する」です。技でもなんでもないのです。より大切なことは「心」という事。人が感動するには視覚的な刺激だけでは足りないのです。
競技チアとはチアスピリットである「応援」を、カラダを使って表現するチアダンスを通して、高いレベルの構成でその正確さ、パワーなどを競うものです。しかし今の競技チアの大会を見ると技に執着するあまり、技中のチームのメンバーの顔は強張り、エネルギーは技そのものに向けられ、大切な「想いや祈り、パワーの発信」が欠落されてしまっているように感じます。
高得点の演技が必ずしも感動するものではない
発信されたものが見ている人に伝わり、そこで心が動き、感動するのです。優勝というものも然り、人が採点した得点で決まるものです。人が人をジャッジする際、消してはいけないものが「心」であってほしいと強く願います。数字ではありません。これは、チアの大会を見たことがある方は分かると思いますが1つ1つのチームの演技を非常に多くの人が見ています。
技の羅列を見せつけただけの演技と心に響く演技は必ずしも一致しないでしょう。審査員がつけた得点だけで決められた“優勝”のチームとは全く違うチームに感動させられた事は少なくないと思います。たしかに技を極める事は全く容易くなく、非常に難しいです。そしてダイナミックに技が成功すると賞賛を浴びます。アメリカのチアは技が派手ですし、日本のチアがそこに非常に影響を受けるのもわかります。ですが、正直言うとそもそもの表現者としてのパワー、一人一人の発信力がアメリカと日本では雲泥の差があり、体格も全く違います。日本人がアメリカの文化アメリカらしさをどんなにマネしようと、そこには大きな壁があるのです。
日本人にできるチアの演技
日本人には繊細さや集団の美しさ、正確さがあります。それにプラスしてアメリカ的な技を徹底してもどっちつかずで、大切な「チアスピリット」を日本競技チア全体が見落としてしまっている現状があると考えています。そして、大会に出場するチームへの影響は大きく、「技の羅列の極め大会」「チーム毎に技のすごさを見せつける場所」となってしまうのです。
そこで異彩を放つチームが今の競技チアの突破口であり、「チアスピリットを持った素晴らしいチーム」と賞賛されるでしょう。技の得点をとことん争うのであれば、新体操や体操競技があります。チアはチアにしかないものがあります。そこにチアをしている人は皆惹かれ、チアの世界に入ってきたのではないでしょうか?
点数の配分が技の得点だけでなく、それ以外の得点を多く稼げる演技が出来るチームが多くの人の心に響き、審査員に響き、そしてこれからのチアを引っ張っていくでしょう。