復帰困難なケガからプロダンサーになる夢を叶えた話

ダンス

私は小さい頃からダンスをやってきて、プロのダンサーになりたいという夢をずっと追い続け、大怪我で一時期は歩くのも困難になる状況もありましたが、結果として夢を叶えることができました。そんな私の経験から、夢を叶えるために何を考えてきたのか、何を乗り越えてきたのかを少しお話したいと思います。

両親が大反対、4年間何度も掛け合い怒鳴りあった

これは難しい問題です。大抵、親は子供のことを大切に大切に想っているからこそ反対するのですが…。

中には本当に一人の力で夢を叶えた人もいるとは思いますが、親の援助がなければなかなか難しいのが現状です。両親が応援してくれないことが原因で夢を諦める人はかなりいる。私の知り合いも両親の反対によって夢を諦め、しばらくは夢を諦めた事を親のせいにしていました。

実際私も大反対を食らいました。4年間、何度掛け合っても反対されていましたが、根気強く何度も何度も相談し、次第に条件付きで考えてくれるようになったのです。当時学生だった私に両親が出した条件とは、学年での成績をトップレベルにすること。そしてトップレベルを継続することでした。私は猛烈に勉強に励み、成績を伸ばし、ついに条件をクリアしたものの、それでも反対されてしまいました。本気で夢を叶えたくて頑張った努力は何だったのかと、怖い父に勇気を振り絞って抗議し、連日怒鳴りあったものです。そして最後は親が折れてくれたのです。

結局、大抵の親は子供が大好きなんです。頑張って頑張って誠意を見せ続け、どうしても曲げないでやり通す意思を示せば、親の反対のせいで夢を諦めたなんて言いながら後悔する人生にはならないのではないかと私は思います。

夢を叶えた人は誰だって、乗り越えてきた壁があるのだと思います。

足首に大怪我を負いリハビリ生活に

スポーツ系、身体を使う系の夢を叶えたい人にとって大打撃となってしまうのがケガ。サッカー選手やアスリートで、昔大怪我を負ったもののそこから復帰したという話もよく聞くと思いますが、文字通り血のにじむような努力をしないと復帰できません。それくらいケガは夢への障害になってしまいます。

私を例に出すと、20歳のころ足首に大怪我を負ってしまいました。医師からは「夢を実現するには手術しかない、その手術もやっても成功率は50パーセント」という、ダンサーを目指す私にとってはまさに死の宣告をうけてしまったのです。一日中泣き続け、悲劇のヒロインのごとくひたすら落ち込みました。だけど生来の負けず嫌いな私は、手術を受けることを決意したのですが、術後しばらくは産まれたての子鹿のように、立つことすら難しく、やはり復帰は難しいかという状況でした。私は諦めずリハビリを続け、半年後にはプロに入るオーディションに合格できたのです。

私の今の職場には各々ケアや自己管理をしている人はもちろんですが、ヘルニアを患いながら身体をガンガン酷使して夢を実現している人、大怪我を負い復帰している人がごまんといます。

不幸自慢をしたいわけでもなく、復帰した私がすごいといいたいわけでもありません。どんな状況も自分次第ということをお伝えしたいのです。名医との出会いは運かもしれませんが、自分次第で究極どんなふうにでもなれると思っています。

自分の実力不足を痛感し諦めそうになったことも

社会にでれば、頑張ったら頑張ったぶんだけ評価されるわけではないんですよね。運やタイミングなど、いろいろな要因が出来事を左右します。

こればかりは本当に継続するしかないんです。努力の継続。とはいえモチベーションの上がり下りが精神に大きく打撃を加えるので、非常に難しいです。

でも、本当に心から目指すものが、上にある場合は、この「努力の継続」は言葉にすると単純ですが必要不可欠なんです。

私も、何度も実力不足を感じて「自分のことなんて結局だれも見てない。馬鹿らしい。やってられない。」と挫折しそうになりました。

だけど、やっぱり「自分なんて誰もみてない」なんていう考え方は間違っていたんです。全員が見てくれて無くても、誰かは見てくれているんです。必ず見てくれているんです。この「見てくれている誰か」が、後にいい評価をくれたり、いい役職に付けたりということに繋がっていくのです。

このほかにも、このご時世、人間関係でのストレスやらなんやら沢山の問題があると思いますが、どの問題も全くたやすくない。諦める人が大勢いて当然だとは思います。

だけど、諦めない人も沢山いて、しっかり乗り越えて夢を掴んでいるのだということも事実です。

これから夢を持って進む人たちにとって、この記事が少しでも励みになって、頑張る糧になったらと思います。

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